
天文4年(1535年)、摂津国池田城主である摂津池田家の家臣・荒木信濃守義村(異説として荒木高村)の嫡男として池田(現:大阪府池田市)に生まれる。最初は池田勝正の家臣として仕え池田長正の娘を娶り一族衆となる。しかし三好三人衆の調略にのり池田知正とともに三好家に寝返り知正に勝正を追放させると混乱に乗じ池田家を掌握する。
その後織田信長からその性格を気に入られて三好家から織田家に移ることを許され、天正2年(1574年)、伊丹城主となり、摂津一国を任された。
天正6年(1578年)10月、村重は有岡城(伊丹城)にて突如、信長に対して反旗を翻した。一度は翻意し釈明のため安土に向かったが、途次寄った高槻城で家臣の高山右近から「信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず滅ぼそうとする」との進言を受け伊丹に戻った。
天正7年(1579年)9月2日、村重は単身で有岡城を脱出して尼崎城へ、次いで花隈城に移り(花熊城の戦い)最後は毛利氏に亡命する。
同年12月13日、落城した有岡城の女房衆122人が尼崎近くの七松において惨殺され、「百二十二人の女房一度に悲しみ叫ぶ声、天にも響くばかりにて、見る人目もくれ心も消えて、感涙押さえ難し。これを見る人は、二十日三十日の間はその面影身に添いて忘れやらざる由にて候なり。」と記されるほどの残虐な様子だったという(信長公記)。
天正10年(1582年)6月、信長が本能寺の変で横死すると堺に戻りそこに居住する。そして豊臣秀吉が覇権を握ると、大坂で茶人・荒木道薫として復帰を果たし、千利休らと親交をもった。はじめは妻子を見捨てて逃亡した自分を嘲って「道糞」と名乗っていたが、秀吉は村重の過去の過ちを許し、「道薫」に改めさせたと言われている。 銘器「荒木高麗」を所有していた。
天正14年(1586年)5月4日、堺で死去。享年52。
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